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松浦霞沼の墓

南警察署裏の史跡です。忘れられた史跡とでも言うのか私も始めて見ましたが荒れ果てていますね。なんだか昼日中なのにゾッとするような雰囲気があります。この当時のお墓には遺骨がそのまま納められているのかもしれません、光清寺の和尚さんが言っていましたが昔は火葬ではなく土葬だったとか。
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松浦霞沼【まつうら・かしょう】

生年: 延宝4 (1676)
没年: 享保13.9.1 (1728.10.3)
江戸中期の対馬府中藩の儒者。通称儀右衛門。諱 は允任,字は禎卿。霞沼は号。播磨国(兵庫県)の生まれ。父守興は姫路藩松平家に仕えていたが,のち浪人。母は国学者契沖の妹。幼くして南部草寿から学才を激賞され,13歳で対馬府中藩に召し抱えられた。木下順庵門下に学んで詩文に才能を発揮し,木門十哲のひとりに数えられた。のち藩の儒者となり禄200石を受ける。同じ木門から府中藩に招聘された雨森芳洲とは特に親しかった。編著『朝鮮通交大紀』(1725)は,中世から享保1(1716)年に至る対馬と朝鮮との関係を記述した書で,ことに文禄・慶長の役以降の部分は史料的
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昨日またまた事故があったようですね。ちょうど自衛隊のパレードがあっている最中だったようです。パレードを撮影して帰ってくると事故。ここは魔の橋ですね。この橋ができてから何度事故があったのか分からないほどです。橋から川端に渡るときに車が来るのが非常に見づらい。私も何度ヒヤッとしたことか。これは人為的に作られた魔の橋です。作るときに何も考えなかったのでしょうね。
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水色の車は右フェンダーがへ込み、黒い車はバンパーがもげていました。どのように衝突したのか分かりませんけど。修理代は対馬市に請求したらどうなのか。まあ無理でしょうけど。事故の一番の原因は前方不注意でしょうけど、でも原因の一端はこの橋を作った行政の責任も少しはあると思いますよ。事故の多さがそれを物語っている。スピードを出すようなところじゃないので大きな事故にはなりませんけどね。

by tsushimaisland | 2012-10-15 00:03 | 市内 | Comments(0)